「歴史知鯉学(れきしちりがく)」、施設整備の歴史へようこそ!!
1950年、広島カープが産声を上げて以来苦労に苦労を重ねたインフラ整備。
金欠球団だからこその悲哀の数々、自前の合宿所やナイター設備付き球場を得るまでさんざん苦労しました。
その経緯についてまとめてみました。
西暦 | 和暦 | できごと |
1949 | 昭和24 | 合宿所は広島市観音町の三菱造船所の寮 |
1950 | 昭和25 | この年には合宿所が広島市皆実町「御幸荘」に移る |
1952 | 昭和27 | 広島のフランチャイズが「広島近辺の球場」となる |
1951 | 昭和28 | 「御幸荘」の所有者がカープの家賃未払いに愛想をつかし、御幸荘を売却、「向陽荘」に移る 性懲りもなく向陽荘に押しかけ昭和33年に三篠合宿所ができるまで居候を決め込む |
1954 | 昭和29 | ■大手町中を国泰寺中に合併し、跡地にナイター球場を建設する計画が浮上(1.26) ■児童文化会館前広場(現広島市民球場付近)で、市民球場建設促進ファン大会が行われ、 ファン1万人が集まる(8.20) ■球場建設期成同盟会長らとカープ首脳陣が広島市長にナイター球場建設を陳情(11.15) ■広島市議会定例会で、現在の場所にナイター付き球場を建設するための市営住宅立ち退き についての説明(12.22) |
1955 | 昭和30 | ■広島で初のセ・リーグ理事会が開かれ、ナイター球場建設を要請(6.14) ■広島市営ナイター球場の設計を元広島市顧問に嘱託(12.13) ■広島市建設促進協議会にナイター球場建設小委員会を設置(12.15) |
1956 | 昭和31 | ■ナイター球場を広島市基町に建設することなどで了解が成立(7.17) ■カープ後援会と女性後援会代表が市長へナイター球場建設を懇願(8.24) ■広島財界10社が市長と懇談し、ナイター球場建設の援助を申し出る(12.4) |
1957 | 昭和32 | 広島財界10社が広島市民球場の建設資金として1億6000万円の寄付を市に申し入れ 広島市の緊急臨時市議会で上記寄付金を予算に追加計上し、ナイター球場建設本決まり 広島市民球場建設世話人会が正式に発足する 広島市民球場の起工式(4.14) 広島市民球場の入場料決まる(6.13) 広島市が広島市民球場条例を公布(7.11) 広島市民球場の完工式と点灯式、収容人員17500人(7.22) 広島市民球場で初ナイター、しかし阪神に1−15で大敗(7.24) 対国鉄戦で広岡選手がカープ選手としての広島市民球場第1号(7.30) 対国鉄戦で広島市民球場での初勝利を飾る |
1958 | 昭和33 | オールスター戦の広島初開催が正式に決まる(1.23) 広島市民球場の内野スタンド拡張工事決まる(2.7) 内野スタンド拡張工事を開始、完工後収容人員2万4500人に(2.13) 広島市三篠町の合宿所の地鎮祭、総工費1700万円(3.10) 広島市三篠町の合宿所完成(7.10) 広島市民球場で初のオールスター戦挙行、超満員の3万1000人がつめかける(7.24) |
1962 | 昭和37 | 合宿所そばで室内打撃練習場の起工式(12.21) |
1963 | 昭和38 | 室内打撃練習場完工、総工費430万円(3.18) |
1980 | 昭和55 | 広島県大野町に屋内総合練習場が完成、総工費3億円(3.6) 身体障害者用観客席とトイレを内野自由席に設置 |
1983 | 昭和58 | 広島市民球場の化粧直し、金網を「忍び返し」のないステンレス製に |
1984 | 昭和59 | 佐伯郡大野町で大野合宿所「カサ・デ・カルピオ(カープの館)」起工(5.8) 西日対策のため、広島市民球場左翼側外野スタンド後方に移動式日よけボード新設(5.16) 大野合宿所完工(11.10) |
1985 | 昭和60 | 広島市西区三篠町の「三篠寮」改修工事完了(11.21) |
1987 | 昭和62 | 広島市民球場開設30周年 広島市民球場の右翼スタンド下に筋力強化室が誕生(3.28) 広島市民球場の座席拡幅と内野2階席が全面完成、現在の姿に(4.2) 広島市民球場内野グランドの25年ぶりの改修決まる(11.7) 広島市民球場の「勝鯉の森」に衣笠内野手の偉業をたたえた記念碑完成、除幕式(11.7) |
1988 | 昭和63 | 広島市民球場の内野グランド改修工事完工(3.31) 広島市民球場新リリーフカー登場(4.5) 松田オーナー代行がドミニカ共和国に野球学校設立計画を発表(5.7) |
1990 | 平成 2 | ドミニカ共和国に広島の野球学校「アカデミー・オブ・ベースボール」開校(11.29) |
1991 | 平成 3 | 広島市中区八丁堀カルピオ2階にカープ野球博物館を新設オープン(3.25) |
1992 | 平成 4 | 寮の食事問題をめぐり選手会と対立、賄いをとりやめに(12.4) |
1993 | 平成 5 | 山口県玖珂郡由宇町に建設していた2軍練習場が完成(3.4) 広島市民球場に電光式スコアボードが完成し点灯試験、外野照明2基も新設(3.26) |
1994 | 平成 6 | 対中日戦から新マスコット「スライリー」登場(7.29) |
1997 | 平成 9 | 広島市民球場で広島ドームの是非を問うアンケート実施(8.13) |
1998 | 平成10 | 広島市佐伯区茶臼山に「カープの丘」誕生(3.28) リリーフカーを有人型に一新(4.1) |
2000 | 平成12 | 大野町の大野屋内総合練習場に「トレーニングセンター」を併設を決定(10.20) 新球場について何も進展せず(12.31) |
2001 | 平成13 | 大野町の大野屋内総合練習場に建設していた「トレーニングセンター」が完成。管理棟をリハビリ用施設に改修。駐車場の一角にはトレーニングルーム(約198平米)を新築。球界では珍しい「人工壁(クライミング用)」他、20種類のトレーニング機器がずらり。総工費はしめて1億7000万円也(1.10) |
2002 | 平成14 | カープのキャンプ地である日南市がカープキャンプ50周年を祝う カープのキャンプ地である日南市が天福球場周辺の整備計画を発表 |