「歴史知鯉学(れきしちりがく)」筆跡鑑定団
調査結果アンサー特集
川島 堅投手(1969.7.20生、広島在籍:1988〜1993)
■ | 川島 堅投手は、1987(昭和62)年度のドラフト1位です。ドラフトでは、阪神、近鉄と競合しましたが、見事カープが交渉権を獲得しました。その夏の甲子園大会でベスト4投手になっていただけに、高卒新人でありながら即戦力投手の呼び声が高かったみたいです。 |
■ | 入団1年目に早くも一軍で投げ、しかも1完投を記録しているところを見る限り、並みの高卒ルーキーではなかったことがわかります。2年目に早くも初勝利を挙げ、順調に伸びることが期待されましたが、1990年には一軍の登板は0、1991年に1試合だけ投げ、その後一軍のマウンドで彼の姿を見る機会はありませんでした。結局、彼の1軍での生涯成績は下記の通り、16試合に登板して1勝4敗でした。 |
川島 堅投手 一軍成績
年度 | 試合 | 完投 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 打者 | 投球回 | 安打 | 本塁打 | 四死球 | 三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
1988 | 5 | 1 | 0 | 1 | 0 | 87 | 19.2 | 20 | 1 | 11 | 14 | 8 | 8 | 3.66 |
1989 | 10 | 1 | 1 | 2 | 0 | 141 | 33.2 | 29 | 3 | 10 | 27 | 15 | 15 | 4.01 |
1991 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 22 | 4.2 | 8 | 2 | 1 | 2 | 7 | 7 | 13.50 |
計 | 16 | 2 | 1 | 4 | 0 | 250 | 58 | 57 | 6 | 22 | 43 | 30 | 30 | 4.66 |
■ | 期待され、期待にこたえつつあった彼に何があったのでしょうか?1991年度版イヤーブックには、「プロ入り2年目の1989年、プロ入り初勝利を飾りながら昨季は一度も一軍マウンドを踏めなかった。5月ごろ右ひじの異常に気づき、9月中旬に思い切って手術した。だが、回復が遅れて本格的な練習は春季キャンプを待たざるを得なかった」と書いてありました。「昨季」とは1990年のことですから、1990年の9月に手術をしたことになります。 |
■ | ファームでの成績をみてみますと、どうやら1990年シーズンは二軍スタートであったにせよ、異常に気が付くまでは順調に投げていたように思えます。完全復活となった1992年には22試合、1993年には14試合とそこそこ投げてはいますが、そのままユニフォームを脱いでしまいました…。 |
川島 堅投手 二軍成績
年度 | 試合 | 完投 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 投球回 | 安打 | 四死球 | 三振 | 自責点 | 防御率 |
1990 | 10 | 1 | 1 | 5 | 0 | 51 | 49 | 23 | 42 | 20 | 3.53 |
1992 | 22 | 1 | 2 | 7 | 0 | 96 | 98 | 46 | 73 | 45 | 4.22 |
1993 | 14 | 0 | 1 | 4 | 0 | 57.1 | 64 | 32 | 42 | 27 | 4.24 |
計 | 47 | 2 | 4 | 17 | 0 | 209 | 219 | 102 | 159 | 99 | 4.26 |
■ | 1年間の空白を経て、1995年には台湾・時報へ入団したということですが、残念ながらさしたる成績も残せぬまま(11試合、1勝0敗、防御率6.23)、1年限りで台湾球界を後にしたみたいです。その後彼についてはかりません。ちなみに、同じ1995年、同じ台湾・時報にカープで今年ついにブレークしたキクこと菊池原 毅が野球留学していたというのも何かの縁なのでしょうか…。 |