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西暦 和暦 トホホなできごと
1950 昭和25 広島カープ、1年目から暗雲漂う
■加盟金及び分担金を6月30日までに払えない場合は、カープの加盟権を取り消すとの
通告を受けるが、のちに月賦払いで勘弁してもらう(6.25)
■不滅の(50年目の平成11年に並んでしまいましたが)13連敗を記録してしまう(11.14)
1951 昭和26 広島カープ、2年目にして最大の危機をむかえる
ついに2月の給料が払えず、トーナメント大会への遠征費も捻出できないほどにまで
広島カープの財政状態が悪化する。 にっちもさっちもいかなくなった絶望的状況に
球団首脳部は広島カープの処遇を鈴木セ・リーグ会長に一任。鈴木会長は、大洋
との合併を画策(3.13)。

■極秘裏に行われていた大洋との合併交渉が漏れ広島県内大騒ぎとなる(3.13)
■「後援会結成」という石本監督の秘策に全てを託し、急転直下合併回避で存続に。
おかげで石本監督はチームそっちのけで金策(後援会結成)に走り回る羽目に。
■前出のトーナメント大会で優勝した大阪タイガースが賞金の2万円を広島カープに寄付
(4.24)
■存続が決まっても連盟は広島抹殺を画策。広島の公式戦を延期するという暴挙に。もし、
回避したければ補償金600万円積み立てろとか、選手をもっと補強しろとか(金がないから
できない)、あれやこれやの無理難題を押しつける。
■全日程終了し、もちろん最下位で2年連続(7チーム中7位)。ところが、収支は公式戦収入
500万円、後援会の支援金400万円、広島総合球場(現在の広島県営球場)の純益500
万円で総計1400万円。支出は総計で1270万円でなんと130万円の黒字に。

■中日球団による長谷川投手の引き抜き騒動勃発(12.25)
球団存続の危機に直面しててんやわんやの広島カープが、統一契約書を12月15日までに
長谷川投手の元に送ることができなかったことを盾ににとって長谷川投手が中日への移籍を
宣言。広島はもちろん拒否。
1952 昭和27 広島カープ、3年目にも消滅の危機
7チームでは試合日程の編成が変則となることから、セ・リーグは6チーム化を画策、つまり
広島カープの抹殺にとりかかった。リーグの申し合わせ事項として勝率3割を切ったチームは
他チームと無条件で合併消滅といる連盟規定を作成。最終的に広島と松竹が最下位を争い、
シーズン終了間際に12連敗をかました松竹が脱落、勝率3割にも届かなかったことから、
大洋と合併し消滅。松竹の主力選手がごっそり広島へ移籍することになるのだから、歴史
というのはわからないものである。

■コミッショナー裁定により長谷川騒動ようやく終息し、長谷川広島入り(3.20)
■7連敗にファンが大激怒。石本監督が中国新聞に手記(4.9)
■阪神・真田重蔵に1四球のみののノーヒットノーランをくらう(5.7)
■巨人の青田昇外野手の獲得工作を行うが結局失敗(12.30)
1953 昭和28 ■左翼ポールに当たったボールを本塁打と判定した塁審に対して(なぜか)ファンが騒ぐ。
夜まで審判団を缶詰にしたために警察官60人が出動(4.12)
■石本総監督が長谷川問題で名誉毀損されたとしてコミッショナーに真相調査を提訴
(8.6)
■石本総監督が後援会監事を広島地検に告訴(8.8)
■球団代表が石本監督の解職届をセ・リーグ会長に提出し、受理される(8.13)
1954 昭和29 ■中日戦終了後、ファンがグランドに飛び降り塁審を殴る。中日の木下貞一選手にラムネビン
が当たり右耳に軽傷(4.21)
■セ・リーグ会長から厳重注意を受ける(4.22)
■球団に対し制裁金5万円と球場設備の改善を求める裁定書が交付される(5.31)
1955 昭和30 ■借入金や税金の滞納など負債総額が5635万1000円になってしまったため、広島野球
倶楽部の発展的解消を決議、ひとまず会社を解散し、新会社を設立することに(12.17)
1956 昭和31 ■巨人戦の終了直後、ファンの投げ込んだ空き瓶が木戸投手に当たり2針縫うケガ(5.20)
■瓶類をファンに手渡さず、紙コップなどに移して販売することに(5.21)
■長谷川投手が阪神の藤村富美男にプロ野球史上2人目の代打逆転満塁サヨナラ本塁打
を喫する(6.24)
1957 昭和32 ■阪神に1−15と大敗し、広島市民球場のナイター開きを飾れず(7.24)
1958 昭和33 ■和製ディマジオ小鶴 誠外野手が引退を表明(12.26)
1959 昭和34 ■金田正一に14三振を喫し、通算2500奪三振の新記録を許す(5.21)
■阪神戦に0−2で完封負けし、4試合連続36イニング無失点の不名誉記録(5.23)

1イニング4三振の日本記録達成(7.5)
川崎球場での大洋戦で、2回大和田が三振振り逃げで出塁、藤井、横溝が連続三振して
2死の後、興津も三振して、1イニング4三振の日本記録


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