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西暦 和暦 トホホなできごと
1980 昭和55 ■こてんぱんの試合展開に立腹したファンがグランドにビンを投げ込み試合が中断(5.29)
■2年連続日本一の功労者江夏 豊投手を放出(11.10)
1981 昭和56 ■山崎隆造外野手が外野フェンスに激突、膝蓋骨複雑骨折(3.8)

本塁ベース踏み忘れで本塁打がフイ(7.20)
逆転スリーランを打ったうれしさのあまり本塁ベースを素通りし、捕手のアピールでアウト、
記録は打点2の三塁打。1958(昭和33)の一塁ベース踏み忘れの長嶋茂雄以来の
大チョンボ(ちなみに対戦相手は広島)以来、2回目の大珍記録成立。主役はガードナー
外野手、オボエテマスカ?
1982 昭和57 ■ヘビの感電死でナイターが中断(7.8、岡山での阪神戦)
■球団史上最高の助っ人と言われるライトル外野手を自由契約選手に(12.22)
■初優勝のウイニングボールを取った水谷実雄外野手を阪急にトレード(12.23)
1983 昭和58 ■活躍を期待されていた加藤秀司選手が肝炎のため登録抹消(6.24)
1984 昭和59 トホホなできごとなし
1985 昭和60 ■ドラフト1位の杉本正志投手、右ヒジを手術(6.8)
古葉竹識監督の退団が決まる、通算711勝576敗124分(9.29)
1986 昭和61 日本シリーズ3連勝のあと4連敗、日本一を逃す(10.27)
初戦を引き分けた後、怒濤の3連勝をかまし、1980(昭和55)以来の日本一は確実と
思われたがその後まさかの3連敗、シリーズ史上初の第8戦も落として、悪夢の4連敗
となり日本一を逃す。工藤に抑えられ、秋山がバック転、清原デビューもこの年

■山本浩二が現役引退を表明、背番号8が永久欠番に(10.28)
1987 昭和62 ■木庭 教スカウト部長が辞意を表明、24日正式受理へ(1.6)
■斉藤浩行選手がファームでの通算100号本塁打を放つ(7.12)

ランスは本当にわかランス(シーズン)
39本塁打で山本浩二に続く二人目の本塁打王になったランス。ところが打率は.218で
規定打席に到達した打者の中ではダントツの最下位。加えて、チームのシーズン三振記録
を更新し、リーグの三振王も奪取。一方で、連続試合本塁打の球団記録を塗り替えたりする
し、「ランスは本当にわかランス」という名言まで飛び出す始末。とても四番打者たるべき
資質のかけらもなかったランスだが、こと巨人のエース桑田には滅法強かった。桑田からの
ホームランで溜飲を下げたカープファンが多かったこともまた事実である。
1988 昭和63 ■暴力団員による大野 豊投手に対する恐喝事件発覚(6.6)
1989 平成元 ■巨人槙原に対して3試合連続完封負けの31イニング連続無失点記録献上(6.27)
■不振のランスを解雇(9.6)
■阿南監督が辞意を表明(9.10)


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