
「歴史知鯉学(れきしちりがく)」筆跡鑑定団
調査結果アンサー特集
「代走 大野 豊」はあったのか?
| ■ | 「こういったHPを主催していると、ごくごく希にではあるのですが、「カープの○○について教えてください」って質問を受けることがあります。メジャーなことについては結構知っているつもりではあるのですが、もちろん知らないことの方が多いのが現実です…。が、簡単に「知らない」と言い切ってしまうのもなかなか悔しい部分があるのも事実で時間をかけて調べてみたりもします。 |
| ■ | で、先日(と言っても昨年の12月初旬のことなのですが)、メールにて質問をうけました。内容は以下のとおりです。「突然ですが教えてください。昔、カープの大野さんが、オールスターで代走にでたことがあると思うのですが、確とした証拠がありません。ご存じないでしょうか?」 |
| ■ | こういった話題については、大野さんが代走に出たことを知っている人にとっては、どうってことない話しになるのですが、「本当にそうなのかどうか確証がない」私にとっては、ちょっと困った質問でした。 |
| ■ | さて、この件についてどうやって調べればよいか考えました。ともかく、オールスターのスコアテーブル上に「代走:大野」の名前を見つけることができさえすれば、「大野さんは代走に出た」ことが証明されるわけです。 |
| ■ | 次は、「何を使って調べるか?」ってことが問題となります。所有するベースボールレコードブックのオールスターゲームの関連ページをしらみつぶしにあたるという手もありますが、あまりにも効率が悪い(ような気がする)。今の世の中、なんとも便利なモノ(本)があったのであります。その名も「オールスターゲームの軌跡 DREM GAMES HISTORY since 1951」(ベースボール・マガジン社刊)。1951(昭和26年)から2000(平成12年)までのオールスターゲーム全試合について、1試合つづの得点経過、打撃成績表、投手成績表が載っているという超優れものです。さらに、各回における出場選手一覧と各選手毎の通算成績までついているという豪華版であります。この本のデータを信じて検証させてもらいました。 |
| ■ | 大野 豊投手は、1980(昭和55年)を皮切りに、1982(昭和57年)、1984(昭和59年)、1985(昭和60年)、1987(昭和62年)、1988(昭和63年)、1991(平成3年)〜1993(平成5年)、1997(平成9年)の10回オールスターに出場しています。問題は、「大野さんがオールスターで代走に出たかどうか」ですから、まず通算打撃成績表と通算投手成績表をチェックしてみました。すると、通算投手成績表によると登板試合数は12試合。ところが、通算打撃成績表によると出場試合数は13試合(1打数1三振)。ということは、「登板しなかったけれども試合には出た」ということになります。つまり、「大野さんは、オールスターのどれかの試合に、代打か代走だけで出場したことがある」ということが明らかとなります(ただし、代打ででて三振した可能性も否定できない)。ここまでわかれば、あとは大野 豊投手が出場したオールスターの全試合をチェックして、代打か代走で出場した試合を見つければ全て解決です。 |
| ■ | 簡単な作業であるはずなんですが、何回か見返してやっと発見しました!その試合とは、東京ドームで行われた1988(昭和63年)の第3試合(7月26日)。この試合は、延長12回まで戦ってセ・リーグがサヨナラで勝った試合です(サヨナラのランナーは正田)。さすがに12回までやったために野手を使い果たしたのか、前日登板して2回を投げた大野投手が代走で起用されています。ただし残念ながらそれが何回の事だったのかまでは、この本でもわかりませんでした(最終回の12回ではない)。ちなみにこの試合、MVPとなったサヨナラランナーの正田(途中出場で3打数3安打1打点2得点)を迎え入れる殊勲の犠牲フライを放ったのは巨人の水野投手でした。 |
| ■ | 結論 |
| 元広島東洋カープの大野 豊投手は、1988(昭和63年)7月26日の第3試合(於東京ドーム)に代走で出場しているので、「カープの大野さんはオールスターに代走で出たことがある」というあなたの記憶は正しいことが証明されました。さすがです。私は知りませんでした…。ちなみに、近鉄時代の野茂投手が代打で出たことは覚えていました。 |