広島東洋カープ ユニフォームの歴史
1950(昭和25年)〜



 

カープのユニフォームは何回変わったのか?
〜後日談〜


1999カープイヤーブック「Carp Uniform Gallaly」より。数字は著者が記入。
変更
回数
変更年度 変更
時期
間隔
(年)
ストライプ

有無
0 1950 昭和 25 開幕時
1 昭和 25 0
2 1951 昭和 26 開幕時 1
3 1952 昭和 27 開幕時 1
4 1953 昭和 28 開幕時 1
5 1954 昭和 29 開幕時 1
6 昭和 29 0
7 1956 昭和 31 開幕時 2
8 1957 昭和 32 開幕時 1
9 1958 昭和 33 開幕時 1
10 1960 昭和 35 開幕時 2
11 1963 昭和 38 開幕時 3
12 1966 昭和 41 開幕時 3
13 1972 昭和 47 開幕時 6
14 1973 昭和 48 開幕時 1
15 1975 昭和 50 開幕時 2
16 1977 昭和 52 開幕時 2
17 1989 平成 開幕時 12
18 1996 平成 8 開幕時 7
19 2002 平成 14 開幕時 6
原データは2002.1.19のデイリースポーツ
0回目と間隔は著者が追加


…となると、1957(昭和32年)から1975(昭和50年)の間で、「Carp Uniform Gallaly」で変更としているものをデイリースポーツ側では変更ではないと判断して外している可能性が高いと思われます。「Carp Uniform Gallaly」のイラストをざっと眺める限りでは、8回目か13回目のどちらかの可能性が高いのですが、今のところ定かではありません…。どちらかと問われれば、13回目のような気がします。「Carp Uniform Gallaly」のイラスト上ではほとんど違いがわかりませんし…。
前回ではここまでしかわかりませんでした。ところが、やはり出てきました新資料。2002.1.21付けの中国新聞朝刊に、「球団が作成したイラスト」って〜のが載ってました(もちろんユニフォームの)。残念ながらモノクロだったのですが、上記1999カープイヤーブック「Carp Uniform Gallaly」と照らし合わせることで、両者の違いがハッキリしました。
結局、デイリーと「Carp Uniform Gallaly」の違いは、「Carp Uniform Gallaly」側で9回目、10回目として区別されているユニフォームが、デイリー側では1958(昭和33年)モデルとしてひとまとめにされているのです。今日になって「Carp Uniform Gallaly」をしげしげと見直してみてわかりました。「Carp Uniform Gallaly」上での1958(昭和33年)モデルと1959(昭和34年)モデルの違いは帽子のエンブレムだけです。実際のところ、「球団が作成したイラスト」には帽子が描かれていないために、帽子しか違いのない(はずの)1958(昭和33年)モデルと1959(昭和34年)モデルは同じになって当然なわけです。
で、どちらの説が正しいのかとすれば、やはりイラストまで作っている球団側の説を採らざるをえないような気がします。ま、「ユニフォームの変遷」と言った場合に、帽子からオーバーソックス、はたまたスパイクのライン全てに対してチェックをすべきか、いわゆる「上着」のモデルチェンジだけにするかは言った者勝ちの部分がありますので、通説としては20回目という事にしましょう。ただ、いずれのイラストも、おそらく、ホーム用だけの筈でして、残念ながらビジター用がどうだったのかについてはちょっとわかりませんねぇ。
で、通説といえば、私、1975(昭和50年)のモデルチェンジでは帽子だけがかわったと思ってましたが(ルーツがユニフォームの変更を提案したとき、「お金がないから帽子だけで勘弁してくれ」ということで帽子だけ赤になったというのが通説)、細かく見れば、襟ぐりの形とズボンのライン(紺・赤・紺のストライプが赤・紺・赤のストライプに変更)がかわってましたね。